孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

西瓜の棚落ち

 スイカは懐かしい。冷蔵庫で冷やしたスイカをテーブルの上に置き、父が狙いをすまして菜切り包丁でザックと切る。大きくゴロリと2つに割れた赤い果実。ランニングを着た小学生の兄と私は目を輝かせて正座でそれを見守っている。やがて一人ずつが持てる大きさにまでなり、兄と私は笑顔で手に取ってかぶりつく。包丁を振るった父も母から一切れ受け取って家族みんなを見ながら頬張った・・・。あのスイカ、今は売っていない。いや売ってはいるものの、あの時のスイカじゃないのである。何が違うのかを口で説明できないが、兄とタネの飛ばし合いをしていたころのあのスイカを食べてみたいなぁと切に思う。今のスイカでは『夏』を頬張れない感じがするのだ。

 スイカという野菜(果物?)は初夏の風物詩ともいえるが、最適な収穫時期を逃してしまっていたものや採ってから時間が経ったものは、果肉に空洞ができたり、持ち味のシャリシャリとした歯触りがなく柔らかくなってしまう。そんなちょっと美味くなくなった残念なヤツを「棚落ち」したスイカと呼ぶ。そんな言葉(用語)も最近ではあまり聞かなくなったが、妻の実家は島根県出雲大社のおひざ元で農家をしていた関係で、結婚以来このようなお百姓さんが使う言葉に近しく触れることになった。このようにスイカ農家にとって、収穫時期というのは農協の買取価格にも響くから、かなり神経質になるのも当然だ。この世には1玉1万円もするスイカがあるらしいが、ほとんどが水分である果実にその金額を払えるお大尽がいるからそんな値段にもなるんだろう。一切れでいいからそんな高級品を食べて、冥途の土産にしてみたいものだ(笑)

 しかしこの『スイカの棚落ち』という言葉、元々とんでもなく品の無い、また差別的な意味をもつ隠語であるのを知ったのは最近のことだ。ここで述べる訳にはいかないので、駄文をご覧になった方はぜひ各自お調べになっていただきたい。ややこしいことで誠に申し訳ない。