孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

ちょっとだけいいモノ

 油断していたら間もなく還暦を迎える年齢になってしまった。あら?こりゃ残された人生の時間も本気で少なくなってきたのか?などと疑う必要はない。死んだ父や母の住まうところへ確実に近づいていることは他でもない、自分の体が教えてくれている。一つまた一つと、逃れられない運命というものに例外は無いことを嫌でも体感させられているからだ。老化現象の典型である『忘れる』ということ一つとっても、その部屋の扉を開けた後に自分が何をしにそこに来たのかわからなくなるなど、なんでもない日常になってるし、忘れないようにしなきゃなと思っていることほど忘れてしまう(笑) なんだか私自身理屈っぽく頑迷になってきた気がしなくもないし、己は動こうとはしないくせに他人にはケチをつけるイヤなヤツになる時もある。また体の方はといえば、すぐ疲れたり無理がきかなくなってきたし、なにより体が硬くて柔軟性がない。まぁストレッチでも、とやりかけるのだがこれも頭の老化だろう、面倒クサくって続かない(笑) 結局運動といったって寝返りくらいしかしない毎日なのである。
 こんな私だが最近ちょっとしたことを気にしている。取り立てて言うほどのことではないが、歳を取ったからこそこれまでは気にもしなかったことを大事にしたいと思うようになった。いや大層な話ではない。身につける小物などに少しだけこだわってみようかなぁという小さなことだ。もちろん分相応な範囲で当然値は張らず、ハードルが低いものから・・・・。

カフスボタン
 既製品の紳士物のシャツの袖にはボタンが2つ付いている。着る人の手首の太さに合わせられるようにだ。しかしそのボタンの間にはカフスを通すホールがあいている。カフスは集めだすとなかなか奥が深いものだ。通販でも買うし、アンティークなんかで高くないものを選んで、自分だけのコレクションを作っている。だから今はシャツを買ったらまずはボタンを取ってしまう。小さなものだが案外楽しい。

●蝶ネクタイ
 カフス同様にこれまではまず使わなかった小物。通常のネクタイとは違い、街では若干目立つ(笑) 特に私の住む大阪・南河内地域では、今でもオラオラしている人が少なくなく、蝶ネクタイスタイルの私は『おぼっちゃま君』的な位置づけになっているのではないか?という懸念がある(笑)

●傘
 傘なんて透明なビニール傘で何も問題はないという人生をこれまで歩み続けてきたけど、少しだけ良いモノを使ってみると何より気分がいい。雨に降られるのは嫌だけど、小雨程度ならその傘をさすために降ってほしいような気持になる。そして何より傘というものを大事にする。『盗まれたら盗み返す』ようなレベルの低い話ではなく。

●帽子
 昔から帽子は良くかぶっていた。キャップ型のものやハンチング(鳥打帽)などはもうかれこれ40年は被っている。中折れ帽なんかも何個も買ったが、この歳になってボーラーハットをプレゼントされ、その可愛らしい形に魅了されている。この後はこれまで一回もかぶったことのないカンカン帽あたりに挑戦してみたい。

●筆記具
 ペンなんか書ければ何でもいいと思っていた。『セデス』などと印字された何かのオマケで貰ったプラスティックの安物のボールペンや、百均のマーカー程度しか使わなかった私が、ひょんなことから万年筆を手にすることになったのだが・・・。それは私の新しい扉を開けた。手を汚しながらスポイドでインク壺からインクを吸い上げる作業は、恐ろしく非効率だがこの上なく楽しい。

 きっとこんな類いのモノには限りがないんだろう。カバン、ハンカチ、スカーフなんかの他、歳をとってはじめて似合ってくるのかなと思ってるパイプやステッキなんかにもチャレンジする価値はありそうだ。この先死ぬまでの間に、せいぜいこんなことで楽しめたらいい。気を張らず肩の力も抜いて。

『子』の付く名前

 学校みたいなところで最も怖いことの一つが『情報流出』である。以前のように生徒や保護者の名簿や電話番号などの扱いも、仕方ないことながらある意味本当に面倒クサくなった。しかし個別に情報を落とし込んだりその人数や傾向を知るためには名簿は不可欠であり代わるものはない。生徒管理というものは名簿ありきで始まるのである。今日も今日とてあることの申し込み状況の報告が私のところまでやってきた。いつものように人数を確認し、表紙のチェック欄に役職印を押しながら、ふと女子生徒の名前に目をやると、最近は本当に『子』の付く名前が少なくなったなぁということに改めて気づいた。いったいいかほどなのかと調べてみると、なんと名前が『子』で終わる生徒は、昼間課程の女子全体の1.7% しかない。我が校だけの特徴でもないだろうから、この数字は全国的なものだ。18歳の女性が100人いても、『◯子ちゃん』は2人もいない計算である。強引ではあるが、今70歳前後の女性はほとんどが『◯子さん』とするならば、ある仮説が成り立つ。単純に18歳がほぼ0%で、70歳がほぼ100%なら、『◯子率』が50%になる分岐点は44歳になる。この算式が成り立つならば、『◯子率』は逆に年代を知るファクターにもなりえる。調べてみたところ、大正10年(1921年)から昭和31年(1956年)までの36年間というもの、『子』の付く女の子の名前が、名づけの1位から10位までの全てを占めている。正にエゲツない占有率である。
 以前ある服飾デザイナーのコンテストにゲスト審査員として招待されたことがある。服飾を生業にしている方々が舞台上に紹介されるという場面があったのだが、ほぼ『◯子』先生であった。名前を呼ばれ、立ち上がってお辞儀をされていく女性たちは、ことごとく『子』が付く名前の法則に則した年齢だったという笑い話である。恐るべし『子』の一世風靡力!
 ちなみに『◯子』の中でも、何子が一番多かったのかも調べてみた結果、『和子』さんは昭和2年(1927年)からの13連勝を含み、昭和27年(1952年)までの26年間の中で3度しかその王座を他の名前に明け渡していない。
 ちなみに絶対王者『子』の独占状態の次にやってきたのは『◯美』の時代である。中でも『明美』は『◯子』完全制覇(1位〜10位独占)の一角を37年ぶりに崩した張本人でもあり、昭和32年(1957年)にトップテンに初登場以来、以後12年の長きにわたりランクインし続けた。さらにその後十数年の混沌期を経て台頭してきたのが一文字である『愛』そして『恵』だ。この2つは昭和50年(1975年)前後からトップテンに顔を出し始め、名付け界の世界ではランキング上位の常連となった。特に『愛』は昭和58年(1983年)から8年間連続トップに君臨し、平成9年(1997年)までトップテン圏内に長らく居座り続けた。
 自分の娘に名前をつけるとき、やはり『子』は付けなかった。しかしやはり親というもの、子供の幸せを切に願って名前に命を与えるものだ。それは今も昔も変わりない。

SF “ 生殖 ”

 人類は繁栄したが、それは医療技術の向上があったからだ。昔なら治らなかった病気も医学の進歩で随分治るようになった。お涙頂戴映画やドラマの主役がかかってしまう不治の病も、現代においては同じ設定では違和感が生じる可能性が出てしまう。主役が白血病にかかってしまうような内容の映画では、私は個人的に中学のガキの頃に観た『エリックの青春』が好きだった。『スターウォーズ』以前のマーク・ハミルの演技が泣けた。治る見込みのない病魔に蝕まれた兄を持つ弟の辛さがわかる気がしたからだ。でも今思い出すと、山口百恵さんの『赤いシリーズ』なんかもそうだが、かなり強引で短絡的な展開の映画だったような記憶がある。そう、まるで韓国ドラマのように(笑)

 閑話休題。冒頭に述べたように医学は劇的に進歩した。例えば生殖に関する分野では、不妊治療や人工授精、また出生前診断など、これまで踏み込めなかった(踏み込んではいけなかった)神の領域にまで人の力は及んでいる。しかし私は以前からさらにスンゴいことを夢想している。医療の進歩を遥かに凌駕するレベルの夢だ。それは・・・。性別は法的に変えられても、今はまだ体の機能面までは変えられない。でもその可能性はゼロなんだろうか? 将来は男(または元男)が妊娠・出産することができるようにはならんもんかなぁ?  ホラ、画期的でしょ(笑)? そんなことになったら法律はもちろん、結婚や仕事の考え方をはじめとして、色んなものが変わるだろうなぁ。

 私は夢想家だから、さらにもう一つ昔から思っていることがあって(笑)、これまた最早キツいSFなんだけど(笑)、それは子宮というものを使わずに胎児を育てるという仕組みだ。ガラスのカプセルの人工子宮がズラッと並ぶ産科病院、その中は人工の羊水に満たされ、人工の胎盤に繋がった胎児が揺れている。『妊娠』や『妊婦』という存在も概念も先進国には無い・・・なんてな時代を夢に見る。そうなれば『産みの苦しみ』というものを経験するのは、途上国の女性だけだ。
 『え?おばあちゃんが若かった時には、赤ちゃんはホントに女の人のお腹の中で大きくなったの?』と子供から訊かれる日は・・・まだまだ来ないか。

反対意見に対する反応

 Aさんが同じ部署のBさんと、考え方の違いからぶつかってしまい、ちょっと険悪な雰囲気になっているとする。それぞれ信じるものを最善だと思っているので相手に譲りそうになく、落とし所が見えない状況である。
 経験上こんな場合、AさんBさんが男性か女性かによって当人の行動は随分変わる。以下、あくまで私が経験、また見聞きした中での話だが、だぁーいたいこうなってしまうので紹介してみようかと思う。

《女性の場合》
 多くの女性は平和に物事を終わらせたいから、普段他人への反対意見というものは言わないようにしているものだ。横の繋がりを男の10倍は大事だと思っているせいもあり、表だって争いの姿勢を見せることはまずない。しかし冒頭の例では明らかに反対意見の人が出てしまった。表面上相手を否定しないという不文律の中、明らかに否定をしてきたのだ。私の周りの女性は自分の意見を否定してくるようなヤツは敵とみなすことが多かった。だから反対意見を持つ2人は、間違ってもランチに一緒に行くことなどないし、下手すると目も合わせないことになる。
 敵対する対象ができてしまった女性が次に取る行動は仲間集めだ。男よりも『数が力になる』からだ。Aさんは行動に出る。『なぁ、どう思う?腹立つやろアイツ!ホンマアホちゃうか?アンタもそう思うやろ!?』と、仲間を引きずり込もうとするのである。しかし否定できない女性特有のシバリは、ここでも発動される。女性故にこの誘い(同士になるための勧誘)に『NO』は言えないのである。万が一にも『イヤ、私はそうは思わんわ。Bさんのいうこともわかるしなぁ』などと言おうものならその人は即時『敵認定』されることになるから、主張の強い女性の周りにはハミゴになることを避けたいYESマン(女性だが)の取り巻きができる。
 私の体験に限定すると女性のこのような傾向は会社の規模や職種、また職位に左右されず、どこにいってもほぼ同じである。

《男性の場合》
 反対にAさんBさんが男だった場合を、過去の出来事から思い出してみる。私の経験した中では、男同士がぶつかった場合には、その本人たちの『人としての成熟度』によって、考え方や行動が全く変わってしまうのだ。
 まずその2人が、人として成熟度が高い場合。意見のぶつかりがランチをともにするかしないかなどという、つまらんこととシンクロする訳もなく、その案件以外ではぶつかった相手に賛同したりもする。また相手の言い分の中に自分では思い付かないことを見つけるし、逆に自分の主張の中の欠点を見いだす。そしてそれらを口に出す。よって双方納得の上での妥結が可能である。
 次に人としての成熟度が並である場合。自分の意見こそ最善の結果に繋がるのだと信じていている時には、別の時間をとってでも2人の考えの溝を、口角泡を飛ばして埋めようとしたりする。決して相手が憎いわけではないから、決裂したとしても通常恨みが残ったりはしない。
 そして最後に対象が子供っぽい人同士だった場合。この2人は、面白いことになぜか女性と同じ考え方と行動をとる。『女々しい』という、きっと教育上良くない言葉があるが、あれは男に対して使う言葉で、こんなヤツにピッタリだ。そしてこの2人は仲が悪くなり、この案件以外でもこの先お互いが認め合うことはない。
 あっこれ女性差別になります?

了解と承知

 授業のために、学校外でプロとして仕事をしておられる講師が多数来られる。色んな科目があってそれぞれの専門家がいらっしゃるのだが、その中に『マナー』という科目があり、俗にいうところのマナー講師数名に、生徒たちの授業を受け持っていただいている。私は校内の各教室をフラッと見に行くことが多いのだが、最近たまたま訪れた教室で本日のテーマに掲げている言葉について担当講師が生徒に向かって力説していたのである。
 曰く「『了解しましたと』いうのは上司や目上の方に対して使ったらダメなんですよ、失礼にあたるんですよー!」・・・らしい。

 私は一定の常識は持っているつもりだが、この説には納得できない。『了解』が失礼な理由がわからない。説明されても全くそうは思わない。『了解』ではなく『承知』でないとアカン理由は、敬意が無いんだと。丁寧さに欠けるんだと。しかし『わかりました』というのは失礼な言葉なのか?その言葉を丁寧にして言っている『了解しました』は、そんなに失礼にあたるのか?

 そもそもこんなことを言い出したのは今から10年にもならない気がするんだけど、突如失礼な言葉になってしまったんだね『了解』という言葉は。ホントかわいそうなヤツだ。自分に対し『了解』を目下の者に使われて『こいつは常識が無いヤツだ!』と腹を立てる人はいるのか? 穿った見方だが、そんな上司がもしいるとすればこうだ。最近『了解』は失礼な言葉らしいぞ。そんな失礼な言葉を上役である俺に使うなんて!どうなってんだ!といったところだろう。私に言わせれば、お前だって最近知ったんだろ?だ。

 マナー講師が説く『マナー』とは何か。こう言ってはなんだが、私は個人的に占いというものがダメで、それに匹敵するレベルで『捏造マナー』は寒イボが出る程嫌いだ。だから個人的にはそれをナリワイにしている人の頭の中がどうなっているのか、不思議でならない。自分たちだけがおかしな宗教にかぶれるのは勝手だが、善良な市民に最近できた変な考え方を押し付けないでくれと言いたい位だ。

 私は性格が温和だから(笑)授業が終わった後、その先生にあくまで優しくこのことを聞いてみた。しかし自分の防衛ラインに入り込まれたと思ったこの教員、思った通り受け入れはしない。『まぁでも世の中の流れとして、それは失礼ということで・・・。生徒に不要な低評価を与えるのも、ねぇ・・・』自分は正しいと盲信するところも世のマナー講師の悪いところだ。

ああ勘違い ➖日本語編➖

 しばらく前に標題の『英語編』を書かせていただいたが、今日は日本語である。ネットを覗いたら簡単にこの手の屁理屈は探せるけど、あくまで本当に実生活において『へぇ、知らんかったわぁ!』と私自身が思ったものに限り並べてみた。


《姑息》
 『その場しのぎ』の意だとはいうものの、この言葉が世の中で使われるときには別のニュアンスを含んでいる。だから私は間違いを指摘されたくないのでこの言葉は使用を控えている(自分でもセコいと思う)。しかし言葉というものは移ろいゆくものだから『間違ってるけどみんな使ってる』という位置付けからさらに進み、向こう数十年の間にこの言葉は『卑怯』とか『セコイ』のような意味で堂々と使用することになる。断言する。

《爆笑》
 『爆笑する』は大笑いすることだと、いい歳になるまで思っていた。SNSなどで、『(笑)』という笑い話の最後に付けるマーク(?)があるが、そのシリーズの上位に『(爆)』がある。でも『大勢の人が一斉に笑う』というのが『爆笑』の意味ならば、『(爆)』は使えない。その文を書いているのは1人であり、大勢で笑っている訳ではないからだ。


《日和る》
 私事ながら私の娘が生まれたとき、名前の候補に『日和(ひより)』があった。本気でそうしようかとも思ったが、『誰もが読める名前にしてあげようよ』という私の母の言葉に、妙に納得してそう名付けるのをやめた経緯がある。この名前を持っている人には申し訳ないが、やめて良かったと思う。なぜなら今、我が校の学生なんかがこの言葉を使うときには『怖気づく』という意味で使われているからだ。そんな名前の持主は人生ビビってるみたいに聞こえるじゃないか。

A級戦犯
 『主犯格』みたいな意味がある言葉だと長らく思っていた。日本史における東京裁判のことを知るまでは。きっと『A』というのが悪いのだと思う。仮に戦犯のことでなくとも、A級B級C級と並べられると、A級が良くも悪くも程度が一番著しいもののように感じてしまうからだ。だから同じ戦犯の中でも、最も極悪な犯人のように聞こえることが、靖国問題などにも暗い影を落としているように感じている。曰く『A級戦犯も祀られている所に一国の総理大臣が参拝するのか?』といった野党の決まり文句だ。あれは『A』を悪用している。

高級アルコール系》
 A級戦犯と同様に、この『直接は関係ないのに語感からなんとなくイメージしてしまう価値』というのは他にもある。例えば私たち美容師にとっては身近な言葉である『高級アルコール系』という名称だ。これはシャンプーの洗浄成分である合成界面活性剤のタイプの一つなのだが、高級とは名ばかり、価格は逆に安いのである。逆に『石けん系』などと言われると『え?石けん?毛ェガシガシになるやん!?』となるのだが、全くそんなことはなく洗浄力はソフトだし、価格も高級アルコール系に比較して相対的に高い。

《お名前を頂戴する》
 ブライダルやホテル、高級店なんかで馴染みの言葉だが、『頂戴する』はやっぱりおかしい。いや、正確には『今は間違ってると思ってる』。英語の慣用句として May I have your name?ってのもあるからその翻訳としては正しいんだけど、その辺にいるマナー講師ではなく、ちゃんとした日本語の権威に尋ねてみたい。

役不足
 つい先日の業務報告会の席上、グループ校の幹部がこの勘違いを実践していた。『先方は理事長がお見えになるのですが、こちら側の対応は私でよろしいですか?なんとなく役不足な感じで気が引けるのですが・・・』と。私自身このことを知ったのは校長になってからなのかもしれない。無知ほど怖いものはない。お節介だと嫌な顔をされるかもしれないが、しゃーない、やっぱり教えてあげようか。

 

できなかった精霊舟

 20歳の頃に若造の私が、結婚というものが頭をかすめた人がいた。結婚することの意味は知らなかったが、とにかくこの人とするのかなぁ? みたいな淡い思いを抱いたのは本当だ。それほど若かった。彼女は可愛いくて、彼女の前では格好悪いところは見せたくなかった。

 一人暮らしのアパートには風呂もなく、トイレさえ共同だったが、しばしば彼女は遊びに来た。笑えるくらい金はなく、本当に何もなかったが、自分でもママゴトみたいだと感じながら私たちは毎日楽しかった。

 ある日私は強烈な嘔吐と下痢、そして発熱に見舞われた。もう立っていることも辛い程だったが、馬鹿な私は救急車を呼ぶという頭もなく、正直このまま寝たら死ぬんじゃないかと思っていたそんな中、タイミング良く彼女があらわれたのだ。『◯ちゃん!!』と私を呼ぶその声が耳元に響いた。私は銭湯に行くときの洗面器を抱えて床に転がっていた。彼女は私の顔の前にある洗面器を持って流しに行った。吐物を処理してもらうのは申し訳ないとも思いながら、私には『ゴメンなぁ』と力なく発するのが精いっぱいだった。

 洗面器を洗ってくれるものと思っていた私は、流しにいる彼女を見て驚いた。なんと彼女は洗面器の吐物の中に両手を突っ込んでいる。『何してんねん! 汚いからやめとけ!!』と私は思わずそう言った。しかし彼女はやめない。そして・・・『ああ、◯ちゃん、昨日たこ焼き食べたやろ?』と言うのである。『たこがアタッてんわ、きっと・・・』。

 この出来事が、この女性との結婚生活を考え始めたきっかけだったと思う。

 しかし世の中というものは上手くいかない。些細なことで喧嘩をした私たちは、別れてはいなかったがしばらく会っていない日が続いていた。そんな中、彼女は交通事故で短い生涯を閉じたのである。即死とのことだった。苦しまなかったことがせめてもの救いだったのかもしれない。共通の友人から報せを受けた私は、罪の意識と後悔で色んなことがなんだかどうでもよくなったのを覚えている。呆然というのはこんな時のことをいうのだろう。

 復活できるまでにどれくらいかかったかは覚えていないが、自分の生活にようやく少しずつ目を向けられるようになった私は、郷里のオジジに、この盆に帰省するので極々小さなものでいいから精霊流しに使う精霊舟を作ってくれないかと涙ながらに打診した。オジジはしばらく考えていたが、『そん子はおがえ(私の家)には来んと。わがえ(実家)に行っとたい。いらんこっやせん方がよか』と静かに言った。
 その年帰省した私は、送り盆の桟橋で行われる精霊流しのため近所のそれぞれの家で作った大小の精霊舟を前に、初めて声をあげて泣いた。