孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

『子』の付く名前

 学校みたいなところで最も怖いことの一つが『情報流出』である。以前のように生徒や保護者の名簿や電話番号などの扱いも、仕方ないことながらある意味本当に面倒クサくなった。しかし個別に情報を落とし込んだりその人数や傾向を知るためには名簿は不可欠であり代わるものはない。生徒管理というものは名簿ありきで始まるのである。今日も今日とてあることの申し込み状況の報告が私のところまでやってきた。いつものように人数を確認し、表紙のチェック欄に役職印を押しながら、ふと女子生徒の名前に目をやると、最近は本当に『子』の付く名前が少なくなったなぁということに改めて気づいた。いったいいかほどなのかと調べてみると、なんと名前が『子』で終わる生徒は、昼間課程の女子全体の1.7% しかない。我が校だけの特徴でもないだろうから、この数字は全国的なものだ。18歳の女性が100人いても、『◯子ちゃん』は2人もいない計算である。強引ではあるが、今70歳前後の女性はほとんどが『◯子さん』とするならば、ある仮説が成り立つ。単純に18歳がほぼ0%で、70歳がほぼ100%なら、『◯子率』が50%になる分岐点は44歳になる。この算式が成り立つならば、『◯子率』は逆に年代を知るファクターにもなりえる。調べてみたところ、大正10年(1921年)から昭和31年(1956年)までの36年間というもの、『子』の付く女の子の名前が、名づけの1位から10位までの全てを占めている。正にエゲツない占有率である。
 以前ある服飾デザイナーのコンテストにゲスト審査員として招待されたことがある。服飾を生業にしている方々が舞台上に紹介されるという場面があったのだが、ほぼ『◯子』先生であった。名前を呼ばれ、立ち上がってお辞儀をされていく女性たちは、ことごとく『子』が付く名前の法則に則した年齢だったという笑い話である。恐るべし『子』の一世風靡力!
 ちなみに『◯子』の中でも、何子が一番多かったのかも調べてみた結果、『和子』さんは昭和2年(1927年)からの13連勝を含み、昭和27年(1952年)までの26年間の中で3度しかその王座を他の名前に明け渡していない。
 ちなみに絶対王者『子』の独占状態の次にやってきたのは『◯美』の時代である。中でも『明美』は『◯子』完全制覇(1位〜10位独占)の一角を37年ぶりに崩した張本人でもあり、昭和32年(1957年)にトップテンに初登場以来、以後12年の長きにわたりランクインし続けた。さらにその後十数年の混沌期を経て台頭してきたのが一文字である『愛』そして『恵』だ。この2つは昭和50年(1975年)前後からトップテンに顔を出し始め、名付け界の世界ではランキング上位の常連となった。特に『愛』は昭和58年(1983年)から8年間連続トップに君臨し、平成9年(1997年)までトップテン圏内に長らく居座り続けた。
 自分の娘に名前をつけるとき、やはり『子』は付けなかった。しかしやはり親というもの、子供の幸せを切に願って名前に命を与えるものだ。それは今も昔も変わりない。