孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

殺していい命、守らないといけない命 2

 私の知人に、山あいで作物を作っている農家の方がいる。私などとは違い、農業に誇りを持ち真面目に生きている人だ。消費者の口に入るから、と農薬の量や虫害にいつも神経を尖らせている。しかしそんな思いを踏みにじるように、時に猪や鹿による深刻な被害がある。増えすぎて食べ物が足りなくなり、里に下りてきた動物たちは畑を荒らす。ホント冗談じゃないのである。あと少しで収穫、出荷できるまでに丹精込めて育てた作物を、一晩のうちに食い荒らされ、時にはほぼ全滅させられてみよ。被害に遭った農家の人なら誰だって憎んでも憎み切れない相手が鹿やイノシシだ。害虫を駆除するが如く害獣も駆除する必要がないはずはないと私は思う。テレビなんかで鹿の子供やイノシシの子供をバンビだウリ坊だとほめそやすこともあって、害獣の駆除シーンは少なくともテレビではお目にかからない。「残酷だから」らしい。
 里に下りてきたクマに襲われても「そもそもこの土地に入り込んだのは人間の方だから」と怪我をさせられたのにもかかわらず やたらに動物側に寛容だ。殺さないように慎重を期しごていねいに麻酔銃で気絶させて山に返すなどの措置を取り、とにかく許してしまうのである。


 現代において、我々は死というものの情報から遠ざけられて暮らしている。それによって死は 非日常で特別なものになった。だからだろう、ほぼ全てのメデイアにおいて、死というものは第一級のタブーになっている。しかしそこにはヒトラーのような選民思想がある(人間ではないから「民」ではないが)。殺しても構わない命と、逆に守らないといけない命というものがあるという意味だ。殺処分廃止を叫ぶ人たちにとっては犬や猫は殺してはいけない命だ。また別の団体では、人間のために犠牲になる動物実験で命を落とす動物も無くそうという。一方グルメ番組では、とろけるようなA5の国産牛を紹介する。当然のごとくその前に行われた屠殺の事実は 公には絶対出てこない。TV番組で特集が組まれることもこの先絶対ない。しかし生命の命を奪うことが残酷というのなら、私たちはほぼ何も口にできない。
 

 YouTubeには、人のために命を捧げる様々な生き物の屠殺シーンがアップされている。また 以前「ブタがいた教室」という生き物の命に正面から向き合うような映画もあった(妻夫木聡さんが教師役だったように記憶する)。外国人の中には活造りがダメな人が少なくない。日本人の我々からすると「へえ、ダメなの?あんなに美味いのに」といったところだろうか。しかしいかに日本人でも牛の活け造りはできないことは確かだ。なぜならば魚とは違い、牛を殺すのは「残酷だ」と感じるからだ。


 命の問題をもう一つ。絶滅危惧種という 人間が勝手に価値を付与した生き物がいる。だから救おうという。私は素人だからわからないので教えてほしいのだが、絶滅させたりほぼ絶滅したりした場合 何が起きるのか?絶滅危惧種なんて勝手に名付けて、守らないといけないみたいな風潮があるけど、なんで守らないとダメなの? その種は現在ほぼ絶滅してるなら、もう既に生態系には影響を及ぼしていないのでは?動物園での飼育以外の野生のヒグマを絶滅させたらどうなるの?ダメならばなぜダメなのか ちゃんと教えて欲しいものである。生態系が乱れるのが大問題というのが本当ならネズミやゴキブリだって同じなのでは?
 天然痘は撲滅したらしいけど(ちなみに私は撲滅などしていないと思っている。「無い」という証明などできないからだ) 、あれは生態系に影響を及ぼさないのか? ポリオは? 狂犬病は? 学者さんのおっしゃる通り どの種も他の生物全体に影響してるなら、無くして大丈夫なの? 人間に害を及ぼす病原体や蚊やゴキブリは片っ端から殺し、絶滅しようがしまいが平気なのに、可愛くて仕方ない犬やネコは一匹も死ぬのはイヤだし、自分に直接害のない猪や鹿に人は同情してしまうのである。