孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

人間関係

 この世は人同士が押し合いへし合い、揉まれながら営まれている。笑い 涙し、時に悔しさに眠れない夜を乗り越えて。
 人と人との間には目に見えない独特の空気の塊があって、相手と自分がまだ慣れていないうちはその空気の塊は粘度が高く、向かい合っても動きが取りにくい。段々と付き合いが深まるにつれ その空気の塊はサラサラしてくるのだと思う。サラサラ状態だとお互いにスムーズに影響しあえる関係ということなのだが、誰とでもサラサラの関係という訳にはいかない。なんとなく澱んだ部分ができてきたり、それが進むと 特定の人との間にはドロドロしたものができたりする。粘度が高いだけなら動きにくいだけで済むんだけど、ドロドロが進むと時に石化する。
 これは偏見なのかもしれないが、このドロドロしたり石化するのは、圧倒的に女同士の間柄において起きる。きっと男同士よりも女同士の方が より高度な精神的な意味での関係が成立しているためなのだろう。その意味では圧倒的に男の方が単純なのだ。女から見れば、男はバカに見えることが多いものだ。
 また人は人間関係における誤解やトラブルを怖がり避けようとする。日本人は特にその傾向が強いようだ。円満に過ごすことが「良い」状態だと思っている人が多く、そんな人にとってはまさに寿命が尽きるまで「対人関係円満状態の維持」が人生の命題となっている気がする。結局自分の不満を打開することと他人から自分がどう見られるかの2つを天秤にかける訳で、前者が勝れば円満な関係が滞るし、後者が勝るなら自分が我慢することになる。
 主張して場の空気が乱れることは面白くないことだが、仕方ない時には仕方ないだろうと私は強く思う。今の世の中、他人から自分がどう見られているのかを過剰に気にする人が多過ぎる。しかも残念なことに、経験上他人の目が行動の基準になっている人は、周囲から評価を得られない。「好かれようとする人は好かれない」という皮肉な法則が成り立つのである。