孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

幸運な男性美容師2

 1社目の店舗を辞めた私はしばらく静養せざるを得なかった。腰痛がおさまって、仕事ができると自分が判断するまで数ヶ月、基本的に家にこもった後、満を辞して(笑)いくつかの美容室の面接を受けた。驚く面接官、鼻で笑う面接官。私が精一杯の虚勢とビックマウスで給料をふっかけたからだ(笑)  しかし現実はそう甘くはなく、程なく至極常識的な条件の美容室に内定したが、妥結(笑)した2店目は最初に勤務した店のほど近くであった。これもまた運命である。

 1社目で私が学んだことは、技術というものは接客の中の一部であるというこただったことに対し、この2社目では、逆に接客というものは技術を施す上での最低限の心がけといった位置付けだったことだ。セロテープでお客様の耳を顔側に折り曲げて貼り付けることなど常識では考えられないが、その店では手が当たってしまうという理由で、平気でそんなことをやった。モノマネの人たちもまだテープ芸はやっていなかった時代のはずだ(笑)  工業製品のような緻密なカットラインが、そのままヘアスタイルの素晴らしさに繋がるものではないのに、店長はミリ単位のカットにこだわり、それこそが優れた技術だとも思っていた。20代になったばかりの私の幸運は、この両極の2店の美容室の企業理念を両方体験できたことだ。

 それからもサロンワークの美容師としてのキャリアを続けていたある日、以前一緒に働いたことのある先輩が私に美容学校での仕事を持ちかけた。25歳になっていた私は漠然と自分の店を開業する夢も持っていたが、独立する前の数年間の修行のつもりでその話に乗っただけのはずが、以来今日まで30年以上が経っている(笑)  考えてみれば、サロンワークの美容師としては横道にそれた形になったが、あの日もしあの先輩からの連絡がなかったら、また学校に誘ってくれなかったらと考えるだけで運命の不思議さと怖さを感じる。

 男性美容師には年齢による「雇われる美容師としての賞味期限」がある。35〜40歳に訪れる「雇われ続けられる・られないのボーダー」には誰も逆らえない。その年齢になれば誰でもそこそこの給料は取る。しかし店(企業)側からすれば、この後5年10年経った後もその美容師を雇い続けるのは難しい。確実に若い世代のお客様を掴めなくなってくるのに給料だけは高く設定せざるを得ないからだ。いつも思うのだが、この図式はアイドル歌手の末路に似ている。いわば売れない元アイドルだ。しかも男はつぶしがきかないから、賞味期限中に独立するか一生続けられる働き方を見つけないと男性美容師の行く末は明るくない。今、多くの男性美容師は独立のリスクを嫌う。しかしそこを避けていればジリ貧であることは明らかなのである。

 その意味では美容師としての私の人生は幸運だった。前述のボーダーの年齢を迎える10年も前に一生続けられる仕事を見つけられたのだから。きっと前世でよほど徳を積んでいたんだろうと思うんだけど違うかなぁ(笑)