孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

講習・研修・コンサルタント

 私はまもなく還暦を迎えようとしている、ジジイにとても近いオッさんである。こんな私は長い間社会の現場にいる関係で、これまで星の数ほど講習や研修を受講し、様々なタイプの講師の話を聴いてきた。まぁ自分で言うのもなんだが、多種多様な教えを受けた訳である。そこで一言言い切ってしまおう。それらの講習や研修は全て、役には立っていない。コンサルタントでございまーす!と、自信たっぷりに話す人に共通するのは、「自分はビジネスにおけるあらゆる場面や状況において、最善・最適な手段や答えを知っている」というスタンスであることだが、残念ながらそれらのほぼ全ては現場において有効ではない。その主たる理由は、コンサルタントがアプローチするポイントは、あくまで手法に過ぎないからだ。社員のヤル気は十分だが、成果を伸ばす手法だけがわからないなどという組織など、この世には存在しないのではないだろうか。 会社や上司が望むものは手法ではなくモチベーションやヤル気の方だ。乱暴な言い方をすれば、ヤル気があれば手法など、考え、聞き、調べることで後からついてくる。

 しかし講演を聴いたり、ビジネス関連の研修を受けたりする時の受講料というのはどうしてあんなに高いのだろう。主催者の立場に立つと、講師のギャラに見合ったハコと聴取料を設定しているのは理解できるが、それにしても・・・と思ってしまう。ネットを探れば既にそこらに転がっているような話を何万も払って聴かされたりすると、心の底からもったいないと思う。有用な講義なら高いとは思わないだろうが、その意味では日本の講習、講演、研修等々の多くは割高であり、支払う金額と比較した場合、内容が貧弱すぎるといえば言い過ぎだろうか。もちろん日本で行われている講習・研修の類いの全てを知っているわけではないので推察の域を出ないが、有名な会社が主催するような研修を受けた際にも結局高いとしか感じず、残念ながらこんな考えになってしまっている。

 また「この講師は本当に受講生の能力向上のために来て、話しているわけじゃないな」というのは、講習が始まってしばらくすると見えてくるものだ。きっと何年も前から改善もせずに使っているに違いない資料を配布したり(イラストに時代を感じたり、例えが古かったり)する講師は、得てして理解度の低い受講者を置いてけぼりにするし、そんな受講者を前にした時、受講者の側が悪い、といった判断をするものだ。

 

 講習・研修では必ずと言っていいほど講師から受講者同士でワークを行う指示が出たりする。例えば「隣の方と向かい合わせになって、お互いの良い所を口に出して挙げてみましょう」みたいなアレだ。講師からのそんな指示を受け、私たちはまるで囚われている人のようにその通りに従う。ええオッさんたちが、たまたまとなりに座った見ず知らずの白髪やハゲに向かって「上品ですね」とか「スタイル良いですね」などと言い合う地獄絵図を想像してもらえるだろうか。私はこれを幼稚園児みたいだと思っている。講師を職業にしておられる方々は、これによって受講者が何かに気付くと本当に本当に本当に思っておられるのだろうか。

 「はぁい、皆さんご苦労様でしたぁ!どうですか?自然に口角が上がっていませんかぁ?これが『褒める』効果なんですよぉ〜!」。 ・・・・これに何万も払うのだ。「午後からは皆さんの職場でも実際に使える項目について勉強していきますからね〜!」。休憩が入ると、アホらしさに爆発しそうだった急性期の感情は一旦冷やされる。しかし改めて、コンサルタントの講師が講習の中で良く使う、「隣の方と向き合って・・・」って一体なんだろう。多分講師たちの間では「視覚聴覚、また実際に体を動かす体験をさせることによって、受講者への印象を強くすることで記憶にも残り、より向上したいという意識にさせる・・・」みたいなことを自分も教えられて信じているんだろうと邪推する。しかし、これは無駄である。何の効果も得られないどころか、嫌な思い、恥ずかしい思いを生むだけだ。

 きっとこんなことをコンサルタントの講師本人に言えば、こう指摘されるのだろうと思う。「受講姿勢がなっていない受講者は、何をやっても身にはつきません」と。しかし、ならば初めからそう断れよ。「ヤル気の無い人には効果はありません」と。実績や成果を並べ立て、実は人並外れたヤル気のある人にだけにもしかしたら効果があるかもしれないってのは、「サ・ギ」じゃね?