孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

お盆

日本にはお盆という文化がある。地域によっても随分風習が違ったりするが、これほど美しい伝統があろうか。日本人独特の優しさが発露した仏教のしきたりだと思う。お経や線香、おりんの音であの世に見送ったじいちゃんやばあちゃんがお盆に懐かしい家に久しぶりに戻って来る。子供の頃からそんな風に大人たちに言われて育った。真夏の数日を実家に帰った故人とともに過ごす。暗くなってくると虫の声が聞こえだす。蚊帳の手触り蚊取り線香の香り。都会に出た親戚一家も帰ってきているから、家の中は色んな家の子供たちの歓声が響く。夜になると大きな座卓を何台か並べてごちそうが並ぶ。男たちは酒を食らい子供たちは団子やおはぎを頬張る。そんな賑やかなお盆がやって来る。

過去1年間に亡くなった人があった家は、故人にとって初めてのお盆の里帰りとなるが、この場合は少々様子が異なる。その家や親戚の年寄りたちは盆の入りからどこか悲しげにしているし、訪問客の目にも涙が見える。亡くなった人が若ければ、ましてや子供なんかだとそれはさらに顕著だ。私は長崎は五島列島の出なので送り盆には精霊流しをする。私の郷里では故人が着ていたものや遺品を乗せた精霊舟を作り、再び亡くなった人の住まいであるあの世になごりを惜しみつつ送り出す。舟に乗った個人の魂はまた来年会える日までしばらくのお別れとなる。私の村落では何艘かの精霊舟をさらにはしけ舟に積んで沖に流す。盆踊りや花火ではしゃいでいる子供もその時だけはたしなめられ、鎮魂の桟橋は徐々にすすり泣きの声に包まれる。

私の郷里から約100km離れた長崎市内では、同じ精霊流しでもけたたましい爆竹の破裂音と火薬の臭いがあたりに充満するとても賑やかな一大イベントだ。大勢の旅行客がカメラをかまえる観光行事という意味では、京都大文字焼きの五山の送り火や灯篭流しなんかも同様のようだが、送り盆の意味もあまり考えてはいないだろう老若男女でごった返しているのを見るとまるでお祭りであり、どこか腹立たしい気がする。